第17回「国際ミーティングエキスポ」IME2007
第17回国際ミーティングエキスポ
(IME2007)
2007年12月18日(火)~12月19日(水)
時間は10時から17時
東京国際フォーラムで開催されます。
日本で唯一のコンベンショントレードショー
写真はIME2006の様子。
こちらもIME2006
最新のコンベンション情報が集結。
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第17回国際ミーティングエキスポ
(IME2007)
2007年12月18日(火)~12月19日(水)
時間は10時から17時
東京国際フォーラムで開催されます。
日本で唯一のコンベンショントレードショー
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6月2日(土)と3日(日)
静岡県富士宮市で「第2回B級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」in富士宮」が開催される。
横手のやきそばなどなどが参加。横手市の隣町、六郷町(今は美郷町)にマスコミが、
「六郷のやきそばにも、卵が乗っかっていますか?!」などと問い合わせがあった。
また、横手市のお店で、焼きそばにお酢をかけたくて、
「お酢ありますか?」
と聞いたら、
「お酢をかけるの?」
と驚かれた経験もある。
B級グルメは美味しくて楽しい。
まちおこしは、どこも「食」に注目しており、
おすすめのイベントです。
会場に行きたいけど行けない人のために、WEB版の予想投票「B-1GP優勝予想投票所」もあります。
ブログもあります。
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日本においても午前0時に日付が変わると考えるようになったのは明治以降である。
江戸時代は夜明けが一日の始まりであると考えるのが一般的であった。
このように、西暦を単純に西洋の暦と狭く解釈することには問題が多いといえる。
それでは西暦はキリスト教の暦であるといえるだろうか。
確かに、西暦という概念はアンノ・ドミニ(anno domini、主の年から)というキリスト紀元に由来している。
しかし、キリストが生誕したのは紀元前4年であり計算違いであることが後に明らかになっている。
また、ヨーロッパでキリスト教が国教化される頃の暦にはオリンピアド紀元(BC776年)やローマ建国紀元(BC753年)などがあった。
キリスト紀元は525年にローマ在住のスキティアの僧、ディオニシウス・エクシグウスによって復活祭の暦を作成する際に提案された。
しかしながら、キリスト紀元は17世紀中旬に広まったのである。
フランスのイエズス会のドメニクス・ペタヴィウスが「時間原則について」という著書で提案したのがきっかけとなった。
そして、西暦(グレゴリオ暦)はカトリックにはすぐに受け入れられたが、プロテスタントからは拒絶され続けたのである。
したがって、一概に西暦をキリスト教の暦であると決めることもできないことがわかる。
西暦(グレゴリオ暦)は暦として現代人に利用しやすいグローバルスタンダードなのである。
そのグローバルスタンダードの暦が2000年という区切りの数字になると考えるのが自然である。
西暦は確かに西洋の暦であったが、地球と月と太陽の関係をうまくとらえた地球の暦となりつつあるのである。
西暦2000年を目前にして、人類は共通の暦を使用するようになった。地球上の個性ある地域の暦を大切に守り育てると同時に、グローバルスタンダードとしての地球暦である西暦は人類共通の財産であるといえるように思われる。
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20世紀末の現在でも暦というのは非常に多様である。
ロシアの教会は現在もユリウス暦を使っている。したがって、ロシアの教会ではクリスマスを西暦(グレゴリオ歴)の1月に入ってから行っている。
イラン暦(ジカラリ-歴)では春分の日が一年の始まりであり、エチオピアでは9月6日が新年になり、西暦(グレゴリオ暦)の7年遅れである。
また、ユダヤ教徒は天地創造とされる紀元前3760年、一部のヒンズー教徒は暗黒時代の始まりとされる3102年、イスラム教徒はマホメットがメディナに移った紀元622年が暦の始まりとしている。
この様に世界中には多様な暦があるのである.
そして、イランのカレンダーには太陽暦のイラン暦、太陰暦のイスラム暦、並びに西暦が一緒に書かれている。
断食などの宗教行事を除いて主な行事はイラン暦に従い、イランの人が西暦を利用することはほとんどないという。
しかしながら、日本の年号を知らなくてもグローバルスタンダードとなりつつあるグレゴリオ暦を知らないわけではないのである。
一方、1日のかわり目も、グリニッジ天文台の西経0度線を基準にした日付変更線を境に午前0時に日付が変わるというのが決まっているが、イスラムでは夕方が 1日の始まりであり、ユダヤ暦では午後6時が1日の始まりとなっている。
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西暦2000年到来にはどのような意味があるのだろうか。
西暦というものは西洋の暦と認識されている。
しかし、西暦を西洋の暦であるというほど、西洋の暦は一律ではない。 キリストの生誕の年と推定された年を第1年とする西暦は、6世紀にローマの修道僧が考案した。
そして、欧州の一部の国で採用されるようになったのは10世紀頃であるといわれている。しかしながら、そのときの西暦は現在のグレゴリオ暦ではなくユリウス暦であった。
ユリウス暦はユリウス・カエサルが紀元前46年に導入した。
この頃にローマ人が用いていた暦は太陰暦であった。
1年が355日であり暦と季節のずれが生じていたのである。
そこでユリウス・カエサルは太陰暦を1年を365.25日とする太陽暦であるユリウス暦に改暦したのである。
このユリウス暦は、法王グレゴリウス13世によって改暦されるまで1627年間も使用された。
そしてその後、上述のように法王グレゴリウス13世によって1582年にユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦された。
ユリウス暦は1年を365.25日としおり、130年に1日ずつずれてしまうので改暦をする必要が出てきたのである。
ユリウス暦では季節がだんだんずれしまい、3月21日の春分の日になってもまだ寒いという状況が生まれた。
季節と暦があわなくなってしまったのである。
そこでグレゴレオ歴に改暦したのであるが、カトリックは1582年にすぐにグレゴリオ暦を取り入れたが、プロテスタントは取り入れず、1700年頃からやっとグレゴレオ歴を使用し始めた。
この様に、イギリスやアメリカが西暦(グレゴリオ暦)を使用したのは、1752年(18世紀)からであった。
ギリシャは1920年にグレゴリオ暦に改暦しており、20世紀に入ってからである。
そういう意味で、18世紀までヨ-ロッパでは正月の時期も違っており、現在の西暦というものが西洋の暦であると考えるより、むしろ、グレゴリオ暦という太陽暦の新暦であると解釈した方が良いのである。
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一方日本では、前にも触れたが1901年に慶応義塾大学が「19世紀、20世紀の歓送迎会」を500人の規模で開催している。
1900年(明治33年)12月31日、まさに19世紀が終わって20世紀を迎えようとする夜、慶應義塾では学生主催の世紀送迎会がにぎやかに行われた。
参加者は約500名であった。そこでの送迎の辞は、「19世紀の文明は自然科学の勝利であったが、科学の進歩は貧富の不平等を起こした。
また、政治上思想上の奴隷を救うをもって始まった19世紀は経済上物質上の奴隷をつくるをもって終わった。
19世紀は絢爛たる文明の花を咲かせたが、これを培養して見事に結実せしめるのは実に20世紀に生きる我らの責務である」と述べている。
祝辞のあと晩餐に入った。
会場には歴史的風刺画が数十枚も掲げられて来会者の興味をそそった。
ナポレオン、黒船、日清戦争などが描かれていた。
12時近くになって一同は運動場に移った。
そこには、大かがり火がたかれ、カンテラが林立して昼を欺くほどの明るさであったという。
儒学者の夢や階級制度の弊害、蓄妾の醜態などが表された3面の風刺画をはじめ、福沢諭吉の寓意による風刺画などが掲げられていた。
12時になると学生が3つの風刺画に対して一斉射撃を行い、それと同時に火が点じられると焔があがって、19世紀の悪習が消えてなくなり、20センチュリーの文字がくっきりと浮かび上がったという。
最後に万歳三唱をして1901年1月1日午前0時20分に解散した。慶應義塾学生主催の「19世紀、20世紀の歓送迎会」は、このようにいかにも日本的な世紀越えイベントであった。
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西暦1900年を中心とした100年前の世紀越えはどのようなものであったのであろうか。
100年前には世紀末現象が起こっている。西暦1900年頃は実は非常に明るい時代であった。車や電気などが20世紀に普及するということがはっきりと予測され、20世紀は非常に良い時代なのだと、人々は未来に明るい展望をもっていた。
そして、平和で明るい時代は1914年の第1次世界大戦の勃発まで続いた。現在、世紀越え現象が起こっている20世紀末の日本とは比較にならない程、明るい時代であったのである。
そのような楽天的な世の中の風潮の中で一部の人々が20世紀には神への信仰などが失われ、非常に恐ろしい時代が訪れると考えたのである。
それが、世紀末現象である。
この世紀末現象はパリを中心に主にフランスで起こっている。
100年前の世紀越えには大規模なカウントダウンをベースとしたイベントはなかったといわれている。
そして、20世紀を提示したパリ万博が世紀越えイベントを代表する世紀のイベントであったといえる。
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20世紀初頭の世界人口は16億5000万人であった。国連推計によると20世紀末には約62億人になる見込みであるから、20世紀初頭の世界は現在の4分の1の人口規模であったのである。
また、日本の1901年(明治34年)の総人口も約4,440万人であり、1996年の約1億2,590万人と比べると約3分の1の人口規模であった。
そして、この頃の世界は電気、石油、並びに通信などの技術革命に沸いていた。蒸気機関車が電気機関車になり、ガソリンエンジンが実用化されていった。グラハム・ベルが発明した電話でニューヨークとシカゴ間の通話に成功したのもこの頃である。日本も欧米の科学技術の導入につとめ、近代化の道をひた走っていた。
19世紀末は「イエローナインティーズ」などと呼ばれ黄色がはやった。黄色は不安と反抗のシンボルでもあった。ゴッホは、黄金色のひまわりを描き、糸杉の上で輝く太陽を鮮やかなオレンジ色で彩った。ロートレックは「ムーラン・ルージュ」の踊り子たちをまぶしい黄色で飾ったのである。
現在日本で大流行のオペレッタが100年前の19世紀末のウィーンでウィンナ・ワルツと一体になって大流行していた。20世紀末の日本は当時のウィーンと似ているともいわれる。ウィーンではハプスブルク帝国の威光は衰え、1873年のウィーン万博が始まっる頃に株価も暴落し、小銭を貯めた多くの市民が没落していった。”バブル崩壊”にあえぐ庶民はワルツの踊りに救いを求め、オペレッタに過去の美しい夢を追ったという。
また、パリ万博が1900年に開催された。日本人の声の最古のレコードはこの時録音されたもので1900年のものである。「欧米漫遊の川上音二郎一座」が、「オッペケペーをお聞きに達しまする・・・」で始まる。奇異な異国情緒が大当たりして録音したといわれている。パリで川上一座が吹き込んだもので、日本人の声を収めたレコードで最古のものである。
1900年には米国が中国や英国などを抜き世界一の工業国となっている。19世紀初頭の1800年頃に世界の3分の1を占める工業生産額を誇った中国(清)は産業革命に乗り遅れ、1840年~1842年のアヘン戦争を境にして英国に抜かれ、続いて欧州列強及び米国に抜かれた。
そして、米国のラスベガスの夜はまだ闇であった。砂漠のオアシスに小さな農場と丸太小屋があっただけである。当時の住人は18人であるという1900年の国勢調査の記録が残っている。
19世紀は西洋文明が人類の未来にバラ色の夢を描いた産業主義の時代だったといわれている。20世紀にはその反省が台頭し資本主義の発展も植民地支配の上に成立していたにすぎないことに気づき始めていた。
一方、日本は欧米の科学技術の導入につとめ、近代化の道をひた走っていた。1901年には東洋一の規模の官営八幡製鉄所第1溶鉱炉にに火が入り操業されている。また、ヨーロッパ先進国で書き言葉と話し言葉が一致しているのに気づき、不言一致運動が進んだ。小学校教育の中に国語科ができた。1902年には日英同盟が結ばれた。また、八甲田山死の彷徨も1902年のことである。1903年には第5回内国産業博覧会が大阪・天王寺公園で開催された。海外18カ国の参加も見て、20世紀の幕開けを象徴する新製品が展示された。一番人気は電気冷蔵庫であったという。温度保持のため、一度に50人しか見学できずに行列ができた。夜になると各展示館はイルミネーションで飾られた。電飾をイルミネーションといったのはこのときが最初である。6,700個の電灯が使われ、5ヵ月間の会期中に530万人の人が入場した。
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今から1000年前の西暦1000年のミレニアムの到来はどのようなものであったのだろうか。
1000年前のミレニアムは、暦としての千年紀としての認識はなかった。キリスト教社会における千年王国の到来であった。
千年王国とは、「キリスト教の世界において終末にあたってキリストが再臨し、千年間統治すると信じられた王国」である。転じて正義と平和が支配する理想的世界や、ユ-トピア、黄金時代を指すこともある。
したがって、西暦1000年頃はその終末にあたった。キリスト教社会では終末感が漂ったのである。
ミレニアムの直前の990年代には西暦1000年に終末が来るという確信が世の中に広がっていたといわれている。
しかし、当時の記録はほとんどない。その限られた記録を残した人の一人に945年から1004年まで生きた修道院改革者のフルリ大修道院長がいる。フルリ院長は若い頃パリの大聖堂に集まった人々の前で紀元1000年が終わるやいなや反キリストが現れ、その後まもなく最後の審判が下り、この世が終わるという説教を聞いたという。しかし、フルリ院長はこの説教に異論を唱えている。フルリ院長は司教である。司教が迫り来るミレニアムについてこの世は終わらないと説教をすれば説得力がある。したがって、ミレニアムには終末に対する不安とそれに対する疑問が混在していたと考えられる。
そして、西暦1000年から数年経過すると最後の審判が起こらなかったいう安堵から多くの聖堂が改築されることになった。
また、キリスト教以外の文化圏では西暦1000年の到来にほとんど関心を示さなかった。地球には多様な文化が形成され、それぞれが独自の暦をもっていた。例えば、ユダヤ教徒は天地創造とされる紀元前3760年を暦の始まりとしていた。ヒンドゥー教徒の一部は暗黒時代の始まりとされる紀元前3102年、イスラム教徒はマホメットがメディナに移った紀元622年を暦の始まりとしていたのである。日本は年号を使っていた。この様に、キリスト教以外の文化圏は西暦1000年に特別な関心を払わなかった。
したがって、当然のことながらそれから1000年後の西暦2000年に地球規模でカウントダウンが企画されることなど想像もできなかったと思われるのである。
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地球の誕生は46億年前といわれている。その46億年前の1月1日の午前0時に地球が誕生したとして、それから現在までの出来事を1年間のカレンダーに仕立てたのが地球暦である。
地球暦では最初の生物が海に現れたのは5月であり、陸にあがったのは11月下旬のことである。12月の下旬に恐竜の全盛時代になる。その恐竜もクリスマスの日には絶滅して姿を消す。人類は大晦日の晩になってようやく姿を現す。
人類の最初の祖先といわれているのは1979年にエチオピアで発見された約400万年前の女性の化石人骨で身長1.2メートル体重26キロの「ルーシー」である。調査隊が好んでビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」を歌ったことから「ルーシー」と名付けられた。この400万年前は氷河が地表を覆う時代であった。「ルーシー」は厳しい自然環境と戦っていたのである。そして、100万年前頃から人類はアフリカから各地へと広がっていった。80万年から70万年前に火を使用し始め、50万年前に原人が現れる。20万年前には旧人となり、約4万年前に人類の直接の祖先であるホモ・サピエンスが現れた。この時が地球暦の午後11時57分48秒頃である。
そして、1万年前に農業革命が起こる。世界最古の都市はヨルダン川流域のイェリコであり、この頃につくられた。都市が一般化したのはそれから5000年後であり今から5000年前である。そして、西暦1000年となった。西暦1000年は地球暦では大晦日の午後11時59分56秒をまわった頃である。そして、産業革命が起こったのは150年前である。地球暦では11時59分59秒をまわっている。
この様に、地球暦では1000年はわずか3秒あまりである。しかし、人類にとっては1000年はとても長い時間なのである。
さて、その西暦1000年頃はいったいどのような時代であったのだろうか。ナショナルジオグラフィック社の2000年特集などから西暦1000年頃の世の中を見てみよう。
西暦1000年頃の全世界の人口は2億5000万人であったという。当時の世界最大の都市は、スペインのコルドバであり、コルドバには45万人が居住していた。世界人口の増加率は0.1%で、5歳未満の子供の死亡率は5割にも達したという。
文化は世界各地にばらばらに存在していた。西暦1000年頃の主役は中国であった。
中国の統一王朝である宋が世界の3分の1近い人口を占めていたのである。地球上の最も豊かな場所で最も文明化されていたのは中国であった。中国の広大な領土で戦いが繰り広げられたり、画期的な新技術が考案され、その影響が遠くの地域にまで及んだという。中国では火薬や紙幣、活字、鋳鉄を製造する溶鉱炉などの様々な発明が相次いでいて、「開宝本草」などの書物が記されている。また、イスラム圏はイベリア半島から北インドまで広がっていた。一方、欧州は中世の暗黒時代であった。
西暦1000年頃は世界はまだあまり交流をしていなかった。欧州の多くの知識人は地球が平らでないことを知っていたが、あえて外洋に乗り出そうとはしなかったという。例外的に古代スカンジナビア人が現在のカナダ北東部に上陸している。一方、ポリネシア人たちはフィジー諸島やクック諸島に入植し、ニュージーランドに進出したのも西暦1000年頃のことである。中国人は世界一周も可能な船を建造したが、遠洋航海には乗り出さなかったという。
まだ世界的な文化は育っていなかった。貿易は次第に人々の考えに新風を吹き込んだ。例えば、スカンジナビア人は、現在のロシアに議会制度を伝えた。しかし、これは長くは続かなかったという。
西暦1000年頃は日本は平安時代であった。日本では宮廷文学が花開き「源氏物語」や「枕草子」が記された。一方、北アメリカでは豆の栽培が広まり、ヨーロッパなどでは奴隷貿易が行われていた。
インドが9個の数字と”ゼロ”を意味する記号を使った数学体系を創造したのも西暦1000年頃のことである。また、アラビア語の書物がラテン語に翻訳され、アスロラーベ(天体観測機)などの機器類の普及に貢献している。中国では地震計が登場し、イスラムの数学者で天文学者のイブン・アル・ヘイサムは大気による光屈折と天体との関係を研究していたという。
環境面では人類は自然に大きな影響を与えるようになってきている。マヤ族やトトナック族など、中南米の民族は西暦1000年頃にカカオ豆でチョコレートを作っていた。一方、ハワイ島やイースター島に住み着いたポリネシア人たちは森林を焼き払って土地を利用するようになり、そのために多くの固有の動植物が絶滅への道を歩んだという。また、ヨーロッパでも金属を得るために木炭が多く使われるようになり森林伐採に拍車がかかったのである。そして、この頃の気候の変化がアフリカのサハラ周辺の広大な地域を砂漠に変えたという。
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西暦2000年到来にはどのような意味があるのだろうか。
西暦というものは西洋の暦と認識されている。しかし、西暦を西洋の暦であるというほど、西洋の暦は一律ではない。
キリストの生誕の年と推定された年を第1年とする西暦は、6世紀にローマの修道僧が考案した。そして、欧州の一部の国で採用されるようになったのは10世紀頃であるといわれている。しかしながら、そのときの西暦は現在のグレゴリオ暦ではなくユリウス暦であった。ユリウス暦はユリウス・カエサルが紀元前46年に導入した。この頃にローマ人が用いていた暦は太陰暦であった。1年が355日であり暦と季節のずれが生じていたのである。そこでユリウス・カエサルは太陰暦を1年を365.25日とする太陽暦であるユリウス暦に改暦したのである。このユリウス暦は、法王グレゴリウス13世によって改暦されるまで1627年間も使用された。
そしてその後、上述のように法王グレゴリウス13世によって1582年にユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦された。ユリウス暦は1年を365.25日としおり、130年に1日ずつずれてしまうので改暦をする必要が出てきたのである。ユリウス暦では季節がだんだんずれしまい、3月21日の春分の日になってもまだ寒いという状況が生まれた。季節と暦があわなくなってしまったのである。そこでグレゴレオ歴に改暦したのであるが、カトリックは1582年にすぐにグレゴリオ暦を取り入れたが、プロテスタントは取り入れず、1700年頃からやっとグレゴレオ歴を使用し始めた。この様に、イギリスやアメリカが西暦(グレゴリオ暦)を使用したのは、1752年(18世紀)からであった。
ギリシャは1920年にグレゴリオ暦に改暦しており、20世紀に入ってからである。
そういう意味で、18世紀までヨ-ロッパでは正月の時期も違っており、現在の西暦というものが西洋の暦であると考えるより、むしろ、グレゴリオ暦という太陽暦の新暦であると解釈した方が良いのである。
20世紀末の現在でも暦というのは非常に多様である。ロシアの教会は現在もユリウス暦を使っている。したがって、ロシアの教会ではクリスマスを西暦(グレゴリオ歴)の1月に入ってから行っている。イラン暦(ジカラリ-歴)では春分の日が一年の始まりであり、エチオピアでは9月6日が新年になり、西暦(グレゴリオ暦)の7年遅れである。
また、ユダヤ教徒は天地創造とされる紀元前3760年、一部のヒンズー教徒は暗黒時代の始まりとされる3102年、イスラム教徒はマホメットがメディナに移った紀元622年が暦の始まりとしている。この様に世界中には多様な暦があるのである。
そして、イランのカレンダーには太陽暦のイラン暦、太陰暦のイスラム暦、並びに西暦が一緒に書かれている。断食などの宗教行事を除いて主な行事はイラン暦に従い、イランの人が西暦を利用することはほとんどないという。しかしながら、日本の年号を知らなくてもグローバルスタンダードとなりつつあるグレゴリオ暦を知らないわけではないのである。
一方、1日のかわり目も、グリニッジ天文台の西経0度線を基準にした日付変更線を境に午前0時に日付が変わるというのが決まっているが、イスラムでは夕方が 1日の始まりであり、ユダヤ暦では午後6時が1日の始まりとなっている。
日本においても午前0時に日付が変わると考えるようになったのは明治以降である。江戸時代は夜明けが一日の始まりであると考えるのが一般的であった。
このように、西暦を単純に西洋の暦と狭く解釈することには問題が多いといえる。
それでは西暦はキリスト教の暦であるといえるだろうか。確かに、西暦という概念はアンノ・ドミニ(anno domini、主の年から)というキリスト紀元に由来している。しかし、キリストが生誕したのは紀元前4年であり計算違いであることが後に明らかになっている。
また、ヨーロッパでキリスト教が国教化される頃の暦にはオリンピアド紀元(BC776年)やローマ建国紀元(BC753年)などがあった。キリスト紀元は525年にローマ在住のスキティアの僧、ディオニシウス・エクシグウスによって復活祭の暦を作成する際に提案された。しかしながら、キリスト紀元は17世紀中旬に広まったのである。フランスのイエズス会のドメニクス・ペタヴィウスが「時間原則について」という著書で提案したのがきっかけとなった。そして、西暦(グレゴリオ暦)はカトリックにはすぐに受け入れられたが、プロテスタントからは拒絶され続けたのである。
したがって、一概に西暦をキリスト教の暦であると決めることもできないことがわかる。 西暦(グレゴリオ暦)は暦として現代人に利用しやすいグローバルスタンダードなのである。そのグローバルスタンダードの暦が2000年という区切りの数字になると考えるのが自然である。西暦は確かに西洋の暦であったが、地球と月と太陽の関係をうまくとらえた地球の暦となりつつあるのである。西暦2000年を目前にして、人類は共通の暦を使用するようになった。地球上の個性ある地域の暦を大切に守り育てると同時に、グローバルスタンダードとしての地球暦である西暦は人類共通の財産であるといえるように思われる。
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日本人にとって西暦2000年を祝うことはどのような意味を持っているのであろうか。西暦と日本人の関係はどのようなものであろうか。
西暦というものは西洋の暦であるために日本人にはピンとこないという人も多い。これは当然のことと考えられる。なぜならば、現在の日本では公式には西暦を使うことが認められていないのである。現在の日本で公認されている紀年法は年号(元号の通称)と神武天応即位紀元だけである。神武天皇即位紀元は今でも法的には生きている。この神武天皇の即位紀元から660年を引くと西暦になるという形になっており、あくまでも西暦の使用は認められてはいないのである。
したがって、元号法に基づいて公式文書には必ず年号を用いなければならない。例えば、婚姻届などに西暦を書いて提出しても年号に訂正されてしまうのである。お役所の関係では日本史の教科書や郵便局等の自動消印機などが西暦になっているだけである。
年号とは、その君主の在位の期間を象徴するものとして年につけた名称である。日本の年号の歴史は古く、西暦645年の大化から始まっている。ちなみに、1代1元に定められたのは明治以降である。現在、年号を使っている国は世界でも朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と日本だけである。北朝鮮が金日成主席が誕生した1912年を元年にチュチュ(主体)年号を制定するまでは日本だけであった。
したがって、日本人にとって西暦が潜在的にバタ臭い感じがするのではないかと思われる。しかし、現在の日本では前述のように世紀を意識した様々な世紀越え現象が見られる。そして、世紀は日本文化として独自のスタイルを持ち始めているのである。
そこで、西暦と日本人の関係について振り返ってみよう。
宣教師がキリシタンの暦として使っていたのが西洋の暦と日本人との出会いであるといわれている。しかしながら、明治時代に入るまでは日本人は年号だけしか使っていなかった。したがって、100年を超える長い期間を計る尺度がなかった。特に鎌倉時代などは年号が毎年のように変わったため年号があてにならず、庶民は干支を使っていたという。
その後、江戸時代の1794年閏11月の11日、大槻玄沢は家塾に蘭学者を召集し、新元会と称して初めて西洋の新年を祝うオランダ正月の宴を開いた。その日は西洋の暦の1795年1月1日にあたっていたのである。それ以後、1837年までオランダ正月の宴は開かれた。
そして、幕末になると西洋の暦に大きな影響を受けるようになる。幕末には、神武天皇即位より○○年という記述が出始めているのである。その後、明治に入り1872年(明治5年)11月15日に年号の長い期間を計ることが出来ないという不便さを克服するために神武天皇即位紀元というものを制定した。当時の政府部内では年号を廃止して紀元だけにするつもりであったが、結局紀元を正式、年号を略式として併用することになった。
1940年(昭和15年)は皇紀2600年であったが、この時に神武天皇即位2600年祭として祝賀式典などが行われた。オリンピックや万博の計画もあったが開催はされなかった。
その後、1898年(明治31年)に勅令が出される。その勅令には「1900年(明治33年)に欧米諸国のグレゴリオ暦では閏を省略するのに対し、わが国の太陽暦ではユリウス暦と同じように閏を置くことになっており、3月1日以降彼我の日付に1日の差を生じることを避けるため」とある。そして、その勅令が1900年3月1日に発布された。それ以降、皇紀から660年を減じて西暦に直して使用し始めて行く。
このように1900年(明治33年)の19世紀最後の年に、庶民が西暦を初めて体験することになった。そして、次の年の1901年、20世紀の最初の年(明治34年)に慶応大学で「19世紀、20世紀の歓送迎会」を開催し、1901年には20世紀という言葉が流行した。
西暦は大変便利であり、昭和から平成になってから西暦の日常化が加速している。平成何年かをすぐに答えられない人が増えている。
例えば、西暦(グレゴリオ歴)2000年を年号でいうと平成12年、昭和75年、大正89年、明治133年などとなる。また、西暦2100年は平成112年である。平成12年を除くいずれの年号も実際は使用されないものである。
小渕総理の施政方針演説でも1999年度予算といっており平成11年度予算とはいわなかった。小渕総理が官房長官の時、元号を「平成」と発表したことを考えると、西暦が日本人にもいかに身近なものになってきているかがわかる。
新聞の発行日なども西暦を使っており、元号は申しわけ程度に小さく括弧で記載されているのが実態になっている。
したがって、国際化に対応したグローバルスタンダードとしての暦である太陽暦の新暦、グレゴレオ歴(西暦)の使用を認めることが重要になってきていると思われる。日本人が現在最も多用している暦はグレゴリオ暦(西暦)なのである。西洋の紀元であると単純に判断せずに年号と合わせて西暦の併用を認める時期が来ているのではないだろうか。西暦2000年をきっかけとして西暦を公式文書で使用できるように法改正してはどうだろうか。かつて尺貫法をメートル法に変えたように、西暦2000年を契機に、西暦の使用を認めることが望ましいように思われる。
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建設省国土地理院が人工衛星を使った世界基準の測地系に合わせて緯度・経度の位置を見直す準備をしているのをご存じだろうか。
測量法は1949年に制定された。国土地理院は明治時代から使っている日本測地系による測量を採用している。現在の基準は東京・麻布台の「経緯度原点」と東京・永田町の「水準原点」となっている。しかし、米国やカナダなど十数国で世界基準が採用されており、日本も世界基準を採用する必要が生じている。、
そして、世界基準に合わせると緯度と経度がそれぞれ12秒ずつずれる。日本列島体が北西へ約450メートル移動し、ゆがみの補正も実施される。
このため、東経135度の子午線上に日本標準時を示す大時計がある兵庫県明石市をはじめ、「子午線上市町村交流会」を組織する5市11町は、建物やモニュメントと世界基準とのずれが生じることに困惑している。
明石市立天文科学館は阪神淡路大震災で崩壊した建物を復旧し1998年3月15日に再オープンしたばかりであり、子午線上で最南端の兵庫県東浦町も1998年3月に東経135度の位置にモニュメントを建てたばかりである。
測量法の改正案は1999年に国会に提出され、今後10年位をかけながら見直し作業がすすめられる。
一方、グリニッジ天文台も生き残りが瀬戸際となっているという。グリニッジ天文台は1675年にロンドン郊外に設立され、世界の時刻の基準になるグリニッジ標準時(GMT)を生んだ約300年の伝統を持つ天文学会の名門である。しかし、資金不足などで世界的レベルの宇宙研究や観測機器の開発などを続けていくことが難しくなっている。約100人の天文台スタッフが10人程度に減らされて小さな研究所としてケンブリッジ大学の傘下に入る可能性があるという。
2000年の到来を目前にして、グリニッジ天文台も子午線上のまちも大きな転機にたたされているのである。グリニッジ天文台がケンブリッジに移転してから旧天文台も博物館になっている。はたして、西暦2100年にもグリニッジ天文台が世界の時刻の基準となっているのだろうか。
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昼と夜は地球が西から東へ自転しているために生じる。しがたって、夜明けは地球上で東にある土地ほど早い。そこで、地球上の各地点に、それぞれ固有の時刻というものがあると考えることができる。この固有の時刻を地方時という。南北に並んだ経度が等しい土地に対する地方時は等しく、経度の差が15度で1時間の時差があるのである。
ちなみに、日本で一番早い地方時は南鳥島、次に北方領土、そして根室市である。21世紀に一番近い街、根室市は日本で一番地方時が早い最東端の街である。
そして、ある地域内で経線を選定し、この経線の地方平均時をこの地域内で共通に使うことにした場合、この経線の地方平均時をこの地域での標準時という。日本では明石市を通る東経135度上の地方平均時を日本の標準時としている。
一方、日の出の時刻は地方時とは別のものである。例えば、初日の出の時刻をみると、千葉県銚子市は北海道根室市よりも西にあり、地方時が遅いにもかかわらず、根室市よりも早く初日の出が見られる。それは、初日の出は南東より北西に向かって昇ることによる。初日の出は緯度と経度、並びに標高によって決まる。したがって、小笠原諸島の南鳥島が5時27分と最も早く、父島が6時20分、富士山頂が6時42分、千葉県銚子市の犬吠崎が6時46分、北海道根室市納沙布岬が6時49分、そして、最後の日の出が沖縄県与那国島で7時32分となる。
したがって、本土では地方時より初日の出の時刻の差の方が少ない。地方時では約1時間の差がある根室市と長崎市であるが、根室市の初日の出が6時50分であり、長崎市の初日の出が7時23分となっている。その差はわずか33分である。初日の出が経度だけではなく緯度と標高の影響を強く受けることがわかる。ちなみに、那覇市の日の出は7時17分であり、福岡市の7時23分より早いのである。
ただし、初日の出の時刻は実際に日の出が見られる時刻とは異なる。実際の日の出は雲などによって遅れ、天候の影響を受けやすいのである。したがって、同じ地点でも初日の出が実際に見られる時刻は年によって異なる。
前述したように、人間の自然な感覚では日の出が一日の始まりとして考える傾向がある。地方時と初日の出の時刻のどちらを重視するかは意見の分かれるところだろう。
海外でもニュージーランドとトンガが標準時と初日の出の時刻で争っている。世界で一番早い2000年の「初日の出」が見られるニュージーランドのチャタム諸島は、日本時間の12月31日午後7時15分に新年を迎える。
トンガがサマータイムを使えば、1時間早くなり12月31日午後7時に新年を迎えることになり逆転する。しかし、初日の出は緯度と経度、並びに標高によって決まるため陸から最も早く初日の出が見られるのはニュージーランドのチャタム諸島となる。
この様に、2000年や21世紀の始まりが早いのはどこかは人間が決めたルールによって変化するのである。
ちなみに、日本では地方時も初日の出も早いのは南鳥島であるが南鳥島への一般人の上陸は許可されていない。そこで、船上から初日の出を見るツアーの企画が練られている。 陸地から観光をかねて楽しめる場所は、地方時が最も早い最東端の根室市や、初日の出が富士山頂に次いで早い千葉県銚子市である。
そして、地方時も初日の出も日没も最も遅いのは南国パラダイスの沖縄県与那国島である。20世紀に日本で最後に沈む夕日を見たい人には与那国島がおすすめである。
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昼と夜からなる一日の経過は生活をしていて自然にわかる明らかな自然現象である。しかし、地球上の各地で日付を使うことになると問題が生じる。
地球は自転をしており地球上では東へ行くほど早く夜が明ける。しかし、地球は丸いので地球上には最東点が存在しない。
しがたって、各国が最東点を決める協定を結ぶ必要が生じる。そこで、同一経度上の地点は同一の自然時(地方時)をもっていることから、最東点を連ねて一本の経度線となることに着目した。この協定経度線が日付変更線である。この線の西側から地球の一日が始まり、この線の東側で一日が終わることになったのである。
この日付変更線を決めるにあたっては、ほんの僅か動いただけで日付が違う不便をさけるために、日付変更線はなるべく人の住んでいない地域に設定することとした。
旧グリニッジ天文台を通る経線を0度としたとき、東経・西経ともに180度の経線は、ベーリング海峡付近に始まりほとんどが無人の太平洋を通過していることから日付変更線をこの経線を基準にし、行政区画を考慮して少し屈曲させたのである。
太平洋を航海するとき、東経・西経180度の経線通過で日付を変更する習慣は19世紀初頭にはほとんどの国の習慣になっていた。
しかし、国際条約として成立したのは1884年の万国子午線会議の決議である。
そしてそれから100年以上のち、2000年の到来がせまった時、世界でどこが一番早く2000年を迎えるのかを日付変更線に近いキリバス、トンガ、フィジーなどの太平洋の国々が先陣争いをすることとなった。
キリバスは東西約4000キロメートルの島嶼国家である。現在、国の中央を走っている日付変更線を東側に変更することで2000年の一番乗りをねらっている。日付変更線は赤道のやや南で東にずれている。そこで、2000年の到来を契機に国内の日付を統一する意味もあり、キリバス政府は日付変更線を東側に移すことを宣言した。トンガより遙かに東に突き出て、2000年を最初に迎える国として観光客誘致に乗り出している。日付変更線には公式協定はなく、この宣言を否定する理由は何もないのである。2000年を一番早く迎える国として国際的に認知されつつある。
一方、トンガはサマータイムの導入を検討している。ニュージーランドのチャタム諸島は9月下旬から3月上旬までサマータイムであるが、トンガがサマータイムを導入すればチャタム諸島より早く2000年を迎えられることになる。カヌーのレースやビーチでのキャンプファイアーなど、1999年のクリスマスから様々なイベントを継続的に打ち出す予定で、観光振興の起爆剤にしようと意気込んでいる。
フィジーも世界で最初に西暦2000年を迎えるのはわが国であると主張している。日付変更線の大部分と重なる東経180度が領内の島の一つを通過していることがその主張の根拠となっている。フィジーもサマータイムを導入して時計の針を1時間進めるとしている。
日付変更線は人間が作った概念である。どの国が一番早く2000年になるのかを決めることは難しい。
ちなみに、英国はグリニッジ天文台があることから、英国が一番最初に2000年を迎えるともいっているという。
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平成19年の神田祭がいよいよ開催される。
5月12日(土)が神幸祭
5月13日(日)が神輿宮入
神田明神の入口
秋葉原の電気街で
秋原の電気街、これらの神輿はやがて神田明神に。
神田明神。神輿宮入のクライマックス。
(写真は、平成13年の神田祭)
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①誰と世紀越えを過ごしたいか(その他のコメント)
好きな芸能人と(10代女)
その時いた人と(20代女)
ロバートレットフォードかマイケルダグラス(40代女)
②どこで世紀越えをしたいか(その他のコメント)
海(10代女)
一番早く日の昇る場所(20代女)
その時いた場所で(20代女)
時期がせまらないとわからない。(20代女)
山頂(20代女)
宗教的な所で(20代女)
カウントダウンをやっている所(20代女)
山の上(30代女)
海辺(30代女)
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1999年から2000年に関心がある男性のコメント
②どこで世紀越えをしたいか(その他のコメント)
花園ラグビー場(10代・男)グランド(10代・男)学校(10代・男)秘密基地(10代・男)神社(10代・男)森の泉のほとり(10代・男)その日の気分(10代・男)省荘(20代・男)深い深い山の中(20代・男)海の中(20代・男)月(20代・男)海(20代・男)南極(20代・男)部室(20代・男)学校(20代・男)先輩のところ(20代・男)居酒屋(20代・男)初日の出を見る海(20代・男)山(20代・男)海岸(20代・男)UFO(30代・男)海の見える丘の上(30代・男)山の中(30代・男)東京タワー(30代・男)海の上(30代・男)一番高いところ(30代・男)いつもの温泉旅館(30代・男)海(30代・男)海で(30代・男)別荘地(40代・男)故郷(40代・男)神社、仏閣(40代・男)| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
世紀越えアンケート調査からわかったこと
・1999年から2000年の方が、2000年から2001年よりワクワクドキドキする人が7割を占め、西暦2000年(ミレニアム)という、1000年に一度の出来事の大きさが明らかになりました。
・1999年から2000年は動的に盛り上がり、2000年から2001年は静的に人類について考えようといった傾向がみられました。
・西暦2000年、年間を通じて人類にとって意義のあるイベントなどがあってもよいという意見も多く、2000年をテーマにした博覧会などがあれば行ってみたいという意見もみられました。
・「世紀越えを特別なものと考えていない」といった意見も5%程度よせられ、単なる大騒ぎはやめてほしいといった意見も多くみられました。
・世紀越えを家族や恋人、並びに友人などと過ごしたい人が8割以上を占めるなど、”ハレ”の場として”世紀越え”を捉えている人が圧倒的に多いことがわかりました。
・世紀越えの過ごし方の意向は、世代間でかなりの格差が見られました。若年層は、”カウントダウン”などで盛り上がることを希望し、高齢層は”人類における意義”を大切にする傾向がありました。また、世紀越えの過ごし方として、様々な意見が寄せられましたが、”世紀越え”は人によってその過ごし方やそれに対する考え方などにかなりの違いが見られました。特に、40代と50代の男性に「世紀越えは単なる通過点である」という意見が多くみられました。
・世紀越えを過ごしたい場所として自宅が4割を占めており、茶の間でテレビなどをみて歴史的瞬間を実感したいとする人が多いことがわかりました。
・世紀越えを過ごしたい場所として、海外や国内観光地は各世代共通に人気がありました。
・世紀越えイベントや世紀越えビジネスの提案としては、”カウントダウン”や”花火”などといったセレモニー的なものも多かったのですが、”年間を通じて意義あることをしたい”といった提案も目立ちました。また、「世紀越えを商品として扱うことに対して疑問を感じる」といった意見もありました。
・世紀末現象としては、現在、噴出している様々なスキャンダルをあげる人が目立ちました。また、個人的な問題を切々と訴える人も多く、世紀越えを「恋人と」過ごしたいとする回答者には世紀末に関する興味がない人が相対的に多いなど、世紀末現象に対する認識は個々人の日常生活に大きく影響をうけるものであることが明らかになりました。
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世紀越えを過ごす場所として「海外」や「国内観光地」はどの年代にも平均的に人気が高く、世紀越えにおける国内外の観光・リゾート地の役割が大きいことがわかりました。
世紀越えを過ごす場所を年齢別にみると、「自宅」という回答の割合は、50代が65%と最も多く、次いで60代が60%、40代が52%、30代が43%と年齢が低くなるにつれて小さなくなり、10代では22%と、世代間で大きな格差がみられました。
一方、「海外」や「国内観光地」は全ての年齢層に共通して人気が高く、世紀越えの場所として大きな位置を占めていました。
また、40代以上は、「レストラン」や「遊園地」などで過ごしたいという回答が少なくなっており、「静かに過ごしていたい」というコメントも多くみられました。
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世紀越えのカウントダウンをどこで過ごしたいか?
世紀越えを過ごしたい場所は、自宅が4割と一番多く、次いで海外が2割の順でした。また、国内観光地、ホテル、遊園地、レストラン、街の人気スポットなど、回答は多岐にわたりました。
「世紀越えをどこで過ごしたいか」という質問に対しては、”世紀越え”を年越しの瞬間と解釈して、「自宅」が419件で42%と最も多く、次いで、「海外」が229件で23%となりました。
また、「国内観光地」は、66件で7%、「ホテル」は61件で6%、「街の人気スポット」は55件で5%、「遊園地」は27件で3%でした。
さらには、「その他」の回答も105件で10%と多く、具体的な場所をあげるものが目立った。「その他」の具体的な記述の中には、「宇宙」や「月」といったSF的なものや、「海の中」や「山頂」などの自然の中で過ごすもの、「学校」や「グランド」などの生活に密着した場所など、その回答は多岐にわたりました。
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「世紀越えを誰と過ごしたいか」という回答には世代間の格差がみられました。
「世紀越えを誰と過ごしたいか」を年齢別にみると、「家族と」という回答の割合は10代は20%ですが、年齢と共に高くなり60代以上では84%と、世代間で大きな格差がみられました。
また、「一人で」という回答の割合も、10代が7%、20代が8%、30代が7%とかなり高い値になっていますが、40代が1%、50代が3%、60代以上が0%と40代を境に大きな違いがみられました。
さらには、10代と20代は「友人と」、「恋人と」、「クラブ・サークルで」など、その回答が多岐にわたり、60代以上が「家族と」に集中するのに比べると明らかな意識の違いがみられました。
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世紀越えを誰と過ごしたいか?
世紀越えは家族、恋人、友人など、大切な人と過ごしたい人が8割以上を占めました。
「世紀越えを誰と過ごしたいか」という質問に対しては、”世紀越え”を年越しの瞬間と解釈して、「家族と」が514件で51%と過半数を占めました。次いで、「恋人と」が174件で17%、「友人と」が139件で14%であり、それらを合計すると827件で82%となりました。
また、「家族と恋人と友人」などの複数回答が42件で4%となっており、「今まで出会った人達みんなで集まりたい」といったコメントもみられました。
一方、「一人で過ごしたい」という回答も59件で6%あり、”世紀越え”を特別なものと考える傾向がみられました。
また、その他も40件で4%あり、「犬」や「宇宙人」など、様々なコメントがありました。
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「どちらでもない」(無回答を含む)という回答も4%あり、それらの回答者には、世紀越えを何とも思わないというコメントもみられました。
「1999年から2000年、2000年から2001年のどちらでもない」(無回答を含む)という回答の割合も4%ありました。これらの回答の中には、「関心がない」、「”世紀越え”を特別なものと考えていない」といったコメントも多くみられました。
また、「どちらでもない」の回答者は、世紀越えを「仕事仲間と過ごしたい」という回答の割合が11%(1999年~2000年、2000年~2001年は共に2%)と非常に高く、普段のままであるという意識が強いことがわかりました。
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1999年から2000年は動的に盛り上がり、2000年から2001年は静的に人類について考えようといった傾向がみられました。また、年間を通じて意義のあるイベントなどをしてもよいのではないかといった意見もありました。
「1999年から2000年の方がワクワクドキドキする」人は、恋人と過ごしたい人の割合が18%(2000年~2001年が16%)、友人と過ごしたい人の割合が16%(同7%)とそれぞれ多く、また、街の人気スポットで過ごしたい人の割合も1999年から2000年は6%(同3%)、レストランで過ごしたい人の割合も3%(同1%)となっており、1999年から2000年には動的に盛り上がることを望む傾向がありました。
一方、「2000年から2001年の方がワクワクドキドキする」人は、自宅で過ごしたい人の割合が46%で1999年から2000年の40%を上回るなど、静的に過ごしたいという傾向が見られました。
また、世紀越えイベントや世紀越えビジネスに関する意見の記述欄でも、同様の傾向が見られ、1999年から2000年をあげた人は「パーッと盛り上がりたい」といった意見が多く寄せられ、一方、2000年から2001年をあげた人は「祭り騒ぎだけでなく、20世紀を振り返り、21世紀をよりよい時代にするようみんなで考えたい」などといったものが多くみられました。
さらには、本アンケートでは、”世紀越えとは何か”に関するコメントをひかえたため、「普段の正月は2週間程度で盛り上がりは終わるが、年間を通じて意義あるイベントなどをしてもよいのではないか。」といった意見もみられました。
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「世紀越え」という造語は、日本経済新聞社の編集委員のある方が1996年当時、国の20000年イベント研究会の発起人の一人であるピース2000倶楽部主宰(谷国大輔:当時:田邊大輔)に、2000年ビジネスについて取材を行い、その取材の中で、「単なるカウントダウンではなく、世紀の架け橋としてのイベント、20世紀を総括して21世紀を展望する世紀を越えるイベント」と答えたことなどがきっかけとなり、日本経済新聞社の紙面「2000年ビジネス始動」に「世紀越え」と飾りがついたのが始まりです。
その後、ピース2000倶楽部が「世紀越え」という言葉を定義づけ、世紀越えアンケート調査をはじめ、全国各地の自治体等への提案、また当時はまだ珍しかったホームページ(ピース2000倶楽部)での使用、そして、それにもまして、千葉県銚子市、北海道根室市、宮城県宮古市、沖縄県石垣市、沖縄県与那国町など全国各地の自治体、さらには愛知県をはじめとする全国の商店街などが、その提案を受けて「世紀越え」という言葉を採用したことよって、19世紀末にはなかったこの「世紀越え」という言葉が、20世紀末に急速に普及しました。
なお、「世紀越え」という言葉は、その後、日本経済新聞社が主催した世紀越えイベント開催準備の前、日本経済新聞社のイベント担当部長とピース2000倶楽部主宰が電話で話し合い、「”世紀越え”は皆のものだから、誰もが使える言葉にしたい。」、また、「誰か他の人が商標登録をして日本経済新聞社のイベントで使えなくなっては困る」ということから、日本経済新聞社から商標登録を申請しています。
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「1999年から2000年の方が、2000年から2001年よりワクワクドキドキする」という回答が7割以上を占めました。
「あなたは、1999年から2000年と2000年から2001年の内、どちらの世紀越えにワクワクドキドキしますか」という問いに対して、「1999年から2000年にワクワクドキドキする」という回答が、733件で73%となり、「2000年から2001年にワクワクドキドキする」の237件で24%を大きく上回りました。
「1999年から2000年にワクワクドキドキする」と回答した人の中には、「21世紀への移行が2001年であるが、2000年の方が劇的である」というコメントをしたうえで、2000年にはゼロが3つ並ぶこと、1000年に一度であることなどを理由にあげる人が多くみられました。
一方、「どちらでもない」(無回答を含む)とする回答も38件で4%程度ありました。これらの「どちらでもない」という回答の中には、「どちらにもワクワクドキドキしない」というコメントがつけられているものもあることから、”世紀越え”という出来事を特別なものと考えていない回答が多く含まれていると考えられます。
ちなみに、本アンケートでは、”世紀越えとは何か”について、コメントをひかえたため、「暦のうえでは、1999年~2000年は世紀越えではない」といったご指摘が数件ありました。
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アンケート回答者の男女別構成についてみると、回答総数1,008件のうち、男性が577件で57%、女性が431件で43%となり、男性の方がやや多い結果となりました。
また、年齢別構成は、20代が420件で42%、30代が228件で23%となっており、20代と30代を合わせると65%を占めています。一方、10代が41件で4%と最も少なく、60代が85件で8%、50代が100件で10%、40代が134件で13%とそれぞれ、10%程度にとどまりました。
アンケート回答者の職業別構成をみると、会社員が413件で41%と最も多く、次いで学生が218件で22%、主婦が125件で12%、公務員が111件で11%となっています。
会社員の割合が41%であるのに対して主婦の割合は12%と、かなり低くなっていますが、上記の男女別回答件数で女性の回答が431件を占めることから、会社員や公務員と回答した人の中には働きながら主婦をしている人もかなり含まれているといえます。
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本アンケートは、世紀越えに関する認識の現状とそれに対する意向を探り、今後、世紀越えを契機としたイベントやビジネスなどのあり方を検討するための参考資料とすることを目的として実施しました。
可能な限り、様々な職種と年齢層の方々にアンケートにご協力をしていただきました。
1997年4月~5月(本ホームページでは1996年11月~1997年5月)
郵送法、面接法、電話法、留め置き法、並びにこのホームページでのアンケートのお願いなど、ピース2000倶楽部のメンバーを中心とした人的ネットワークにより、出来る限り多くの方々にご意見を伺うことをめざしました。調査方法としては簡易な方法といえますが、世紀越えの全体像を何らかの意味で反映するシミュレーションとなるよう、出来る限り多くの特定集団に配布しました。
回収件数1,008件
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(備考)世紀越えについて
本アンケート調査では、おもに西暦2000年(ミレニアム・千年祭・百年祭)への移行と西暦2001年 (21世紀・第3ミレニアム)への移行の歴史的瞬間などを中心に、様々な”世紀越え”に関する考え方やご意見をご自由に 記入して頂くため、あえて、アンケートの用紙には、”世紀越え”に関するコメントをつけませんでした。
そのため、何人かの方々から”1999年~2000年は世紀越えではない”といったご指摘がありました。
ちなみに、ピース2000倶楽部では、世紀越えを
「20世紀から21世紀へ、2千年紀から 3千年紀への時代の架け橋としての目的を持った国内外の全ての社会経済現象もしくは時期」
と捉え、
特に西暦2000年 (ミレニアム・千年祭・百年祭)への移行の瞬間を”大世紀越え・ミレニアムの歴史的瞬間”、
西暦2001年(21世紀 ・第3ミレニアム)への移行の瞬間を”世紀越えの歴史的瞬間”
とし、世紀越えの中心となる期間は西暦2000年を核に、 1999年から2001年の3年間ではないかと考えて事業を推進しました。
また、ピース2000倶楽部では、”世紀越え”をこの様に解釈すると、アンケート調査を実施した1996年~1997年、 世紀末と同時に、すでに”世紀越え”が始まりであると考えられることから、全国各地に世紀越え事業についてご提案をし、「世紀越えイベント」と銘打つて、そのプロデュースをしていきました。
ちなみに、「世紀越え」という言葉は、本アンケート調査が掲載された国の研究会(通産省の外郭)の調査報告書をはじめ、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど、多くのメディアで紹介され、また、ピース2000倶楽部からご提案を受け、全国各地の自治体で「世紀越え」を事業名として採用したことから、「世紀越え」という言葉が急速に広まりました。
なお、本調査結果は、多くのメディア(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ)で紹介されました。
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