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2007年5月16日 (水)

一日の始まりは3つもあった(一日のはりまりはいつか)

1日の始まりはいつであろうか。これには3つの考え方がある。

 一つ目は、現在の時刻制度を尊重するという立場からのもので、午前0時を過ぎた時である。現代に生きる我々は午前0時に一日が始まると考えている。江戸時代にはこれを天の昼夜と呼んでいた。

 2つ目は夜明けである。朝の目覚めをもって一日の始まりを実感として受け止めているのである。昔の人にとっては昼と夜は別のものであった。日の出より始まり日没に終わる昼間を人の一日と考えた。一方、日没から日の出にいたる夜間は神の一日と考えるものである。神社の祭礼は夕方から宵宮として始まり夜間に儀式を終える。翌日の夜明けと共に人の一日が始まると、人の神をあがめる行事が繰り広げられるのはそのためであるという説である。したがって、また夜が来ると人の神への崇拝行動は終わり、神を天に送り返す行動が行われて祭りが終わるのである。江戸時代にはこれを人の昼夜と呼んでいた。

 明治にいたるまではこの様に昼を人の一日と考えていたので、昼の長さが季節とともに変動する不定時法が使われていた。一日の始点を夜明けと考えることは自然な感覚であるともいえる。

 3つ目は日没である。その根拠となるものにアシタ、ユウベという言葉がある。現在はアシタといえば明日であり翌日を意味する。しかし、もともとは朝を意味していた。また、ユウベも現在は昨夜のことを意味しているが、もともとは夜を意味していた。したがって、アシタとユウベというのは一日の朝と夜を意味した言葉であった。つまり、ユウベからアシタが一日のサイクルであると考えられるのである。このような日の区分は平安時代の物語などに多く見られる。そこでは、今夜と書いてコヨイと読み、明けた朝になってから前夜を指していっているのである。

 この様に、一日の始まりには3つの考え方があるのである。そして、3つ目の日没が一日の始まりであるとすると大晦日の夜から一年が始まることになる。もともと正月は年中行事の中でも最大の祭りであった。それだけにその準備は重要であったが、準備は日没までに全て終え、祭りそのものは大晦日の夜から元旦の朝にかけて行われた。大晦日の夜に家族が一同に会して寝ずに過ごすことが多い。これは祭りの重要な要素である「おこもり」の影響であると考えられる。また、大晦日の夜の食膳を新年最初の食事とし、「お節料理」はもともと大晦日の夜の食膳である。したがって、古くは大晦日の夜こそ一年の始まりであり年神祭の重要な時であったのである。

 日本では標準時の午前0時に同時に一日が始まる。しかし、地方時では南鳥島と北方領土に続いて根室市から一日が始まる。日の出では南鳥島や父島などに続いて銚子市から一日が始まる。日没では南鳥島と北方領土に続いて根室市からはじまるとなるのである。

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